|
書体への誘い 11 董仙 <とうせん>
|
|
|
空間こそが「董仙」の魅力 別項の「名工の轍・豊島龍山」に登場する「董仙」(豊島龍山作)に魅入られて、それと同じ駒形にしてもらった「董仙」を、これまでに全部で4組制作した。上写真の駒は、現在のところその最後の作(何となく最近「董仙」は作っていない)である。 |
■「董仙」「董齊(とうさい)」の由来
|
![]() |
|
「董仙」の玉と歩
|
|
|
「董齊」の玉と歩
|
幕末の棋聖・天野宗歩の門下で、将棋五段に昇った松本董仙が、この「董仙」書を残した。
松本董仙は、後述する松本董齊の長男。弟の竹朗(竹郎、竹次郎とも)は、明治期に名人候補とまでいわれ七段まで昇った。
左の上段が「董仙」の書体(玉と歩)だ。実際の駒の写真以上に、字母紙で見ると、字が中央に集中し、まわりの空間の何ともいえない味わいががよりはっきりとしてくる。
左の下段が「董齊」の書体(玉と歩)だ。松本董仙の父親・松本董齊(1870年没)は、本名は盛義で、法眼(中世・近世に、医師、画工、連歌師などに授けられた位)に叙せられている。将棋は初段。
大阪の中井董堂に師事し、草書にすぐれ版下を多く書いていた。この「董齊」の歩を見ると、草書にすぐれていたことが、垣間見えるようだ。別項の「名工の轍・豊島龍山」には、実際の「董齊」(龍山作)の駒も掲載してある。
松本董齊・董仙親子ともに、将棋だけでなく書にも長けていたため、それぞれ駒銘を残したのであろう。
掲載した2つの字母の大きさは、それぞれ実際の駒と同率にしてある。比較してみると、いかに「董仙」が小さいかわかっていただけると思う。
上の駒の写真と同じく、下の字母紙は豊島龍山の「董仙」だ。ただし、この「董仙」にも同名の篆書の別書体があり、「董齊」にも「法眼董齊」という別書体もある。いずれ機会があれば、それらを紹介することもあるかもしれない。
|
|
|
豊島龍山の字母紙。同名で篆書の別書体もある。
|